牧口先生とともに投獄され、昭和20年(1945年)7月3日に出獄された戸田先生は、学会が弾圧によって壊滅状態になったのは、信心が弱く、教学がなかったためであるとし、教学の振興に力を注ぎ、学会の再建を進めました。

昭和26年(1951年)5月3日に第二代会長に就任されると、昭和27年(1952年)4月28日の立宗700年を記念して、「御書全集」を発刊することを発願しました。
戸田先生26年5月3日
戸田先生は、発刊の辞の中で、「巷間流布されている御書に拠っていたが、相伝なき流流・学者等の編纂した書は、観心本尊抄を始め、その他種種の重要なる御抄に於いて、大聖人の御真意に叛く読み方をなし、或は誤りをその儘伝え又は偽書を真書となし、真書を偽書と歪曲する等、読者を迷わすこと甚だしく、到底之を信頼することができない」と、それまでに発刊されていた御書の欠点を指摘しています。

大聖人の御真意に背く誤った読み方とは、「観心本尊抄」の「地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(御書254ページ)の御文を、「本門の釈尊の脇士と為り」と読み、「開目抄」の「日蓮は日本国の諸人にしうし父母(主師親)なり」(御書237ページ)の御文を、「シタシ(キ)父母ナリ」と読んでいることなどをさしています。

これでは、日蓮大聖人が世界第一の御本尊を建立されるご本仏であることを示す重要な御文の意味が、まったく違ったものになってしまいます。
さらに、戸田先生は、「宗祖日蓮大聖人、建長五年四月二十八日、三大秘法の南無妙法蓮華経を御唱え始められてから七百年を迎えるに当たり、信憑すべき御書の発刊を要望する声が学会内に起り、余も亦正確なる御書全集の出版は御奉公の一分なりと信じ・・・慶祝記念事業として之を発刊せんと発願したのである」と述べています。
日蓮大聖人の教えを誤りなく学んで実践するためには、その内容が正しく、信頼のできる御書全集が絶対に必要であり、会員からも強い要望があったため、戸田先生が発刊を発願したのです。